不可能性の時代

不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

ジュンク堂で売れている本ランキングを見ていたら、比較的硬い本である大澤真幸が7位にはいっていて驚いた。社会学系の本としてはよく売れている。大澤は東との共著、対談などで気になっているので読んでみる。

「現実から逃避」するのではなく,むしろ「現実へと逃避」する者たち──。彼らはいったい何を求めているのか.戦後の「理想の時代」から、70年代以降の「虚構の時代」を経て,95年を境に迎えた特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ,現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る.大澤社会学・最新の地平.

第1章:理想の時代
第2章:虚構の時代
第3章:オタクという謎
第4章:リスク社会再論
第5章:不可能性の時代
第6章:政治的思想空間の現在
終章:拡がり行く民主主義

1〜4章までは三田宗介の戦後の時代区分を引きなが現代社会とは何かを紐解く準備をする。理想、虚構と言う言葉は現実と対置させる形で置かれた言葉である。正直、学部生レベルの教養をしてこの解説的な前置きはそれだけで価値があると言える。実際、さらさら興味を持って読み進めることもできたし、社会学系、人文系の学部生はこういう本を読むべきだよな、と思ったりもした。さてポイントは5章からである。理想から虚構へのシフトチェンジは理想の徹底化で得られたものであった。とすれば虚構の徹底化が現代にどういう時代性を生むのか?ここで著者は現代社会の本質を「不可能性」として置き換える。この概念が厄介で難しい。

不可能性とはつまり、虚構への逃避(例えば、セキュリティ化社会)と現実への逃避(例えば、リストカットや自分探し)という二つの相反するベクトルが共生する<現実>(カッコつきの現実)のことであり、そこでは<他者>(小文字の他者)をラジカルに求め、と同時に恐怖している。このような矛盾が孕む難解な課題を大澤は引き受けている。6章、終章はこの不可能性への希望を提示する。長い前置きと伏線を作って掻かれた文章なので要約は放棄する。