ライターの話

SOFT&HARD

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最初に断っておくが読了していない。というか読了するにはあまりにも長時間要するであろうボリューム感あふれる内容がこの本には内包されている。いよいよ読み始めた佐々木敦コレクションとも言うべき本著は、著者のほかの作品と比べても圧倒的に「佐々木敦」的な語り口によって書かれているとの印象を受ける。95−05年までのQuick Japanの連載が核となっているので、実は03年程からQuick Japanを読んでいるものとしては1/3ほどは読んだことのある文章であるが、それでもこうもある種「冷淡」とも言うべきまさしく佐々木らしい批評を贅沢に凝縮されると、サブカルという言葉に過敏に反応する学生諸氏にとっては垂涎といわざるを得ないだろう。

Quick Japanに掲載されたハルカリ論で佐々木敦は「俺サブカルなんて大嫌いだからね」と始めている。これは佐々木敦ハルカリを支持している理由をある種コンプレックスに解釈しようとした読者が多すぎたために、こう書いたのだと推測できるが、佐々木氏の文章をある種サブカルのお手本として読んできたバリバリの中二病患者であった高校生の僕にとっては、それはコペルニクス的転回(!)以外何ものでもなかったわけだ。(そう、オタクたちが庵野秀明に受けたトラウマと全くおなじである。)今思えば僕に佐々木敦を「読む」力がなかっただけだったが、そのことを先日、当人(今は先生)に話すと大笑いしていた。

僕は佐々木敦の文章を「注釈の文章」と呼んでいる(いまさっきから)。もちろん実際にどうでもいい情報を注釈として掲載したりはしているが、僕がここでいう「注釈」とは本文中にある。つまりある主張を行う際、あらゆる選択の可能性を読者に意識させてから行う。ゆえに「凄く薄い」であるとか「絶対安全」(笑)なんていう批判を受けることもあるが、このアティチュードは批評家としての彼なりの礼儀というかルールなのかもしれない。。

さて、この書き方に対置させることができるのは同じQuick Japanに寄稿しているライター松本亀吉だと思う。彼の言葉は短く的確に、なによりセンセーショナル書きなぐられている。若い頃からQJの後ろに短く添えられた彼の言葉達に笑ったり、妙に納得して感心したり、ドン引きしたりもした。それでも僕は松本亀吉の文章(ブログもね)を読み続けている。もう5、6年も読んでいるのだ。しかし、彼が発行する「溺死ジャーナル」は買いそびれている。ごめんなさい。