聴いた

Sch?ne Neue Extrawelt

Sch?ne Neue Extrawelt

Bionik

Bionik

Imagine

Imagine

Numbers Lucent

Numbers Lucent

Listening Tree (WARPCD173)

Listening Tree (WARPCD173)

Polyfolk Dance (WAP261CD)

Polyfolk Dance (WAP261CD)

green anthology

green anthology

TURNING DRAGON (WARPCD162)

TURNING DRAGON (WARPCD162)

ご来場ありがとうございました。

私のお別れ会は無事大好評につき終了いたしましたことをここにご報告いたします。しかし、こんなにも期日管理ができない連中と付き合っていたのだと思うと恐ろしくなってきますが、なんともほほえましいばかりですが。失礼なこと(もはや暴言でしたが)をいっぱい言ってしまってごめんなさいデス。愚痴を吐きつづけていたら、ドンドン人が減っていって、いつの間にか沢山HEADZにお金を落として、花太郎にいました。(鈴木くん申し訳なかったです。ただ、11時過ぎに来ても来なくてもいいような飲み会だったので・・・あと僕がべろんべろんになってしまったので。)
それにしても、ちょっとずつでも文章書く練習をしないと。ぼく島はもはや休刊状態ですが、エクス・ポの復刊に合わせてちょっとづつでも書いてみて、またA4で出すとか、ださないとかそういうことも考えたり考えなかったりですが、まぁとにかくストレスが凄いので(同期のみんなにあうたびに痩せたよねーと言われるのが、不安でしょうがない・・・)ここら辺で溜まったものを吐き出さないと、本当に胃潰瘍になりそうなので、復刊準備期間ということで。ちょこちょことミクシィでも日記を書いてるんですが、いかんせん誰も読んでくれないので(読ませていないんですが(追記)直近の伊集院光もおんなじことをやっていて驚いた!)こちらは自己表出としては全く機能しておらず、今ここで少し足がかりを作ってみようかなとおもってPCの前でキーボードを叩いております。
それにしてもみんな批評だ!批評だ!と騒ぎすぎなのでは、と最近思っているのです。誰かが再認識やら再評価やらをしなくても批評はこうやって存在するわけですし、気がついたら批評がそこにあって、偶然にも批評になってましたー、批評が机の下に転がってましたー、なんて状況が一番自然で気持ちがいいのではないでしょうか?それが多様性なんじゃなかろうかと。まぁ逆説的な状況に陥っていますが、無視してください。

はいはい

ということで久々にブログでも更新しますかね。みんな元気かね?特に書くこともないんですが。ようやくネットが開通したので土日は四六時中ポッドキャスト聴いてました。いやー先輩後輩とかどうでもええわい。休日先輩のことは忘れさせてくださいよ。あーそれとストリーム終わりましたね(←今更・・・)。すぐにポッドキャストも消えたみたいで色々恐ろしい世の中ですな。その辺の空気は読んでいくのは本当に大切だとここ2ヶ月ぐらいで学んでおります。決められたことを決められた手順で決められたペースで行うということが何よりも大事なのであって、能動的行動は必要最小限に押さえねばならないという・・・まぁ日曜だし仕事のことは忘れましょうか。と思って寝ると恐ろしいほどに仕事でミスする夢を見てうなされるという・・・イヤーワロスワロスwあーあと6月の第一週は東京に帰るので、金曜か土曜日にでも飲みませう。敦が忙殺されませんように日々願っております。

(2号)あとがきにかえまして

これからのぼく島のテーマというのは大まかに分類すると二つあって、ひとつはこの異常なまで豊饒な世界の一部分を少しでも他者と紹介したり共有したいということにあります。つまりサブカルに限らないけど、やっぱり世界は面白いものが溢れていて、今この時間もフツフツと湧きだしては消えたりどこかに蓄積されている、とてもじゃないけど一人の人生じゃおいきれないのだという途方もなく幸福な意識がある。たとえば僕が仕事をおえて帰宅してパソコンをつければ、予約録画してあったバラエティー番組がハードディスクに貯まっているし、はてなアンテナをチェックすればだれかが僕を喜ばせるblogを書き、iTunesを立ち上げればポッドキャストが気が狂ったように更新さて、本棚には積ん読しつある雑誌や小説がつんであり、その間にもテレビ局やラジオ局は電波を垂れ流しつづけ、2ちゃんには良スレが乱立し・・・しかもそのどれもが僕のことを満足させてくれるのです。これほどまでに素晴らしい世界があるか?絶対に食べ切れない量の酒池肉林が目の前にあってなお、だれかが新しい料理を次々と生み出しては僕の傍らに置いていくのです。ストリームが終わったぐらいじゃ蚊に刺されたことにもならんのです。
つまり、みんな本当に素晴らしい、愛している。東浩紀宇野常寛佐々木敦も赤木智広も鈴木謙介ゼロアカアラザル沢尻エリカも亀田もやくみつるイチローも王も長嶋も麻生も小沢もあらびき団エンタの神様日経平均ももダウも……僕を毎日楽しませてくれるのです。全部が全部素晴らしくて愛してるんだけど、愛してるからこそ言いたくなることって言うのは確実にあって、たとえば大好きな娘が誰がどう見ても鼻毛が出てるという状況があったとき、愛してるからこそ教えてあげたいというか、うーんたとえば大好きな娘が他の追随を許さない奇抜で異様な服装で街を練り歩いていたとして、愛してくるからこそなんでそんな変な格好をあえてしているのか聴いてみたいというか。そんでその反応もまた面白かったり、その疑問をああでもないこうでもないと考えている時とか他者と一緒に考えている時こそ面白かったりしますよねー。
それでもやっぱり過度に大衆化されすぎて見え見えなつまらないものとか飽きちゃった状態っていうのはあるわけで(それはそれで無視すればいいわけだが……なぜなら面白いものは他にも死ぬほど生まれているわけだから)、それでも自分がメタな視点にたってあげることでまた面白くなるということはままあると思うのです。2号で書いた「NHK天才てれびくんの本当の楽しみ方」というのはそういう発想が元になっていて、天てれはもうみんな見てないはずだけど、いまみたら全然違うところでちゃんと笑えて面白いと気がついたということが端緒で、それを僕はみんなに紹介したいと思ったのです。3号には「ギャグマンガとしてのドカベン」というのを書きたい。これも同じ発想。ただ単にマンネリ化するドカベンをよむんじゃなくて、そのマンネリ化自体を楽しんでしまおうというか、水島先生の老化に注目するというか……まぁそんな感じにするつもり。
以前Lifeで佐々木さんが、「状況が煮詰まった時に驚くことに対するハードルを下げることで〜」とかいうそんな話をしていたけど、これは僕が馬鹿だからなのかもしれないけど、そんなハードルを下げる必要は現時点では全然ないというか、絶対にそんな状況にならない……普通にハードル設定していても自然と面白いものは生まれてきて、面白い方々が紹介してくれたり、もっと言えば面白いものが過去に膨大な量蓄積されているわけで、現時点ではハードルをあえて上げなきゃいけないほど、煮詰まるつもりもないのです。もっといえば残りの人生70年ほどだけど、全然ハードルを下げなきゃいけない状況にいたらないと思うし、それに人間は物を忘れるから、何度みてもきいても(ryみたいなことっていうのは結構あるわけで。まぁ商業誌が全部潰れたらミニコミを読めばいいわけで、ラジオが全部潰れたらねとらじを聞けばいいわけで、テレビが全部潰れたら、Gyaoをみればいいわけで、もっといえば全部潰れたら(!)仕事をを楽しめばいい……とまあこんな感じで絶対にこんなにつまった状況にはならない。絶対にならない。
僕がこういう消費者でいられるのはとても幸せなことであるわけだけど、これはつまり僕が徹底して消費者であるからだ。つまりこれはぼく島のテーマの二つめなわけだが、とにかく当事者にはならないということだ。つまり“非”当事者性!!批評について語ろうが、僕は批評家ではないし、批評家志望ですらないし、音楽についてあーだこーだ偉そうに語っても僕はギターすら弾かないし、歌も歌わない。こんな嘗めた態度で僕はずっといたいと現時点では思っていて、それは多分僕が消費者でいられるほうがおいしいとおもっていることと、それでも気が向いて雑誌を作ったりもするわけだけど30部いかないぐらいのミニコミだし、自分の言論に全く責任が持てないというか持つつもりもないというか……とにかく今はそう思っているのです。ということで今後ともこんな感じでやって文章を書いたりしたいとおもっています。3号の発売を待たれよ!!!!!!