kufu!クッフゥ!

97年に出たソニーのテクノコンピ「Pacific State」聴いてて思ったんだけど、端的に言ってものすごくつまらなかった。いや一つ一つの曲はそんなに悪くない。さすがに大資本だけあってちゃんとツボを押さえた人選になってはいるし、作り手側も手を抜いている様子はない。しかし、ただただつまらない。これが時間的なものかといったら多分違う。むしろ僕は97年はハードミニマルが物凄くいい具合に醸成した感じの音が大好きで、客観的にも田中フミヤをはじめとするミニマリストなんかはこの時期一番評価されてたように思う。
あえて言えば「なんの起伏のないミックスCDを聴いてるみたい」そんな感じだと思う。一つ一つの曲は悪くないって書いたんですけど、それはある意味嘘で、(竹村延和とか除いて)ほとんどの曲が物凄く構造的に似通ってるし、それは何でかって言うと、結局はK.U.F.U.!クッフゥ!つまり工夫がないんですよ。曲がかなり悪い意味で型に嵌った構造をしていて(誰が誰の曲かいつまでたってもわかりません)、しかもそれが曲間0秒で流れ続けると。曲の構造とアルバム全体の構造がインタラクティブに全体を通して平易な印象を与えているとしか思えない。
とはいえ、現在シーンの状況は決して思わしくないでしょう。Hawtin(Minus)以降音の数を減らすことがこれほどの圧力になるとは誰も思わなかった。グローバルにミニマリストへの転向が蔓延する中、そもそもミニマル(クリックハウス)に面白い作品がある、というよりは、とにかくクリックの物量がとんでもなくて、それが作り手ことDJにいたっては作品を作るうえで克服せねばならない至上命題になっていると。しかしこの停滞がある種逆説的に面白い作品を世に送り出している事実っていうのは確実にあって、話を戻してしまうと、とにかくK.U.F.U!工夫せよ!という圧力も同時に働いている。でないと、本当に物量に埋没しかねない。(いや現にほとんどの作り手がそうなっている状況だが。)
この状況に対してあえて脱臼するか、それともクリックを読み込んだ上で工夫していくか、2通りの方法論あると思うんですが、今現在全うに評価されている(この後も生き残っていきそう)のは後者でしょう。Steve Bug、James Holden、Radio Slave、もちろんMines勢も・・・上げていってはきりはないですが、彼らはクリックを基調とした上でも、それでも(文字通り)これまで聴いたことがない音と音楽を発表し続けている。アホみたいに一辺倒な市場があるからこそ、異端の個性が相対的に浮き彫りになる状況というのは、さっき書いたこととは逆になるけど、面白いと思う。
さて、結何を書きたかったのか分かりません。現況を肯定したいのか否定したいのか、それすらも。ただ、ひとつだけいえることはK.U.F.U.!工夫なく納得する「Pacific State」な状況は非常に不味いと思ったのです。あ、そうそう。この納得って言うのも鍵で、やっぱり印象論の範疇を抜けないけど、変な納得があるように聞こえたんですよ、「Pacific State」は。「ホラカッコいいでしょ、テクノってこういう音楽だよ」って全員が思ってるみたいな。この感覚はやっぱり大資本が絡んでるからなのだろうかと、自問しています。

PACIFIC STATE

PACIFIC STATE