ネオリベ社会をどう生きるか。

論争 若者論 (文春新書)

論争 若者論 (文春新書)

上の新書は文春が最近だした言わばここ数年の若者論ベスト版的論文集。赤木智弘雨宮処凛などプレカリ系の論者はもちろんドリームインキュベータ堀社長、太田光宮台真司仲正昌樹などから多種多様な論文が載せられている。個々の論文の共通点としては、やはり(希望)格差やら<いきづらさ>、ワーキングプア問題・・つまり新自由主義なモードを若者はいかに生きるか(生きるべきか)ということが主題におかれている。

つまり、<規制緩和→人材の流動化→格差拡大>な社会をどう生きるかってことです。論者の見解をおおまかに分類すると以下のようになります。

  1. 俺らは頑張ってるけどもうムリポ・・もう戦えません・・とにかく辛いから社会を変えろ!(赤木氏のように戦争だ!などと言い出したり、雨宮氏みたく辛い辛いと叫んでみたり。)
  2. これからは弱肉強食だよ!不断の自己啓発!死ぬまで努力!やめたら負け!休日返上でスキルアップ!とにかくやる気と元気!(堀氏、城繁幸「とりあえず死ぬまでガンガレww」)
  3. マターリいくのもありじゃね?戦わなくても苦しまない、そんな新しい生き方と社会の可能性を考えてみよう!(宮台真司、あと若干語弊があるけど鈴木謙介『さよなら下流社会』)


以上の分類に以下のような稚拙な私的見解を。

(1)このような社会改革派はもはや無視できないレベルに来ている。(鄯)流動性をさらに高めて既得権から財産を分配すべきと主張する側と(鄱)べーシックインカムに代表される社会保障を充実させ生活を保障せよ、の二通り。ウチの大学生協プレカリアートコーナーができるなど出版メディアを筆頭に貧困思想を広めている。プレカリは近頃起こる犯罪などとの噛み合わせもよく、この論壇は活気付いているかのように思う(『論座』廃刊したが)。しかし、共産党の党員が一万人増えたというぐらいしかたいしたニュースはなく、このままでは大規模なデモや市民革命は実践的にくわだてられることはないはず。とりあえずの選挙待ちでしょうが、自民党政権が終焉した場合、その代替がうまく機能するかはかなり疑問だと思っているのは僕だけじゃない(よね?)。

(2)自己責任論は理解が容易く納得性も高いが、それゆえに短絡的になりがちではないか。不断の自己啓発って、それなんて宗教?まさにそういいたくなるほど人間社会の幸福についてもう少し考慮して欲しいが、最も現段階の処方箋としては即効性がありそう。また、時代の趨勢に身を任せるというのが一番楽なのではないか、という仮説も立てられる。要するに「洗脳を織り込み済みで自己啓発し続ける人生を選択する」ってこと。くよくよ悩まないですむよ、多分。そのかわり少しのモラトリアムを許されず、文字通り死亡www(いや笑えない。)あと、自己啓発弱者が大量に発生すること間違いなし。それを「甘え」の一言で片付けられてしまう恐るべき社会に。雇用の流動性と独特の価値観が根付いた日本人のそれを効果的に意識改革するのは難しそうだが、とりあえず大学という場所と日本の雇用制度を考え直す時期ではないかと思ったりもする。

(3)現時点では最も困難かと。新しい生き方にはアイデアとクリエイティビティが不可欠。とりあえず立ち止まって考えてみよう、できるかどうかはわかりません。革命っすよ革命!なんてシラケつつノリつつな態度で延長戦を楽しもう・・・ってそれなんてヒッピー?でも、あえてこの姿勢を現時点で支持したいのは城繁幸(2.の人ね)の言う平成的価値観との親和性も高いんじゃないかともいえる。

僕の解釈では・・

昭和的価値観
1)会社しがみつき
2)日本特有の雇用環境を当たり前のものとしている(年功序列、終身雇用)

平成的価値観
1)転職・キャリアアップ
2)自己啓発スキルアップ

一見すると平成的価値観は仕事をし続けろ!さもなくば死ぬぞ!的な労働中心主義に解釈されがちなんですが、この点少し留保が必要です。というのは、城氏は「会社に解雇されても『これからは自分のクリエイティビティを使って生きていくんで』などと言って平然と辞表をかける社員も平成的価値観の持ち主である」みたいな事を書いているので。ようするに人材の流動性を受けているか、どうかのちがいですね。

ここでひとつ提案をすると、ようするに<価値観を多様化させよ!>ってことじゃないかな。人材の流動性が高まった現代社会では、どう考えても昭和的価値観をひきづったままでは不幸になります。会社を解雇されるんじゃないか?このキャリア間違っているんじゃないか?などと怯えながら、働いていく人も増えていくでしょう。それではどう考えても不幸です。何故不幸になるか?それは唯一の価値観にしがみ付き、依拠しているからではないでしょうか?つまり分散投資ができてないってことです。資産を守るためには、銀行に預金してみたり投信を買ったり、株を買ったり、国債を買ったり、通貨を買ったり・・・分散投資することが必要です。しかし、ある銘柄一点買いだったら?本当にその株が上がるか下がるか不安で不安でしかたないでしょう。勿論上がるんだと信じてやまずに生きていく人もかなりの割合いるでしょう。しかし、勿論下がることもあるわけで、下手したら上場廃止ですよ。上がると思ってた株が上場廃止に・・しかもそれが人生だったら、どれほどの衝撃があるかは推し量るに容易いと思います。

とりあえずはいろんな人生に触れてみることが大切なんじゃないかな。いわゆる多様性の享受ですよね。これは他人に優しいってことですよね。「どう生きるべきか」は分かりませんが、「そんな生き方があってもいいと思う」と認めてあげることは簡単だと思います。他人を認めることで、自分の生き方を多様化させる、今のところネオリベに立ち向かうにはこれしかないと僕個人としては思っています。


思いのほかお寒い内容になって悲しいです。(なにかの宗教に入信したとかはないので安心して!www)