運動偏差値30の俺が120キロ歩いてみました

とりあえず、120キロ歩けたのでレポートを書きたいと思いますが、その前に現状を書きます。

まず両足がパンパンに腫れている。足の甲が下手したら疲労骨折してるっぽい・・・っていうかもはや俺の脚じゃない。
まめなんかはデフォでアキレス腱のところの皮膚がはがれて血の塊が。ジャージは血だらけ。
太ももとふくらはぎが爆発して肉片が粉々になって部屋に転がっているので、もちろん一歩も歩けない。


途中まで一緒に歩いていた後輩の日記を引用しながら。

埼玉県本庄に到着。いよいよスタート。
まず始めに目についたコスプレ(?)は犬をつれている40ぐらいのおばさんだ。120キロの犬の散歩・・・。犬が車道に出ようとするのを必死に引っ張って止めていたのが面白かった。どこかの橋の上で驚愕のコスプレイヤーに出会う。足元は下駄で、女装をして、「脱少子化」と書かれた旗を掲げながらベビーカーを押している。100ハイのパンフレットには「何をしてもいいが足元だけはいじらずにスニーカーにするべき」と書かれている。話しかけてみると、社会問題を考えるゼミに所属しているらしく脱少子化を訴えているらしい。メッセージは伝わった。面白半分で「フリーチベット」とかいいながら歩いている糞連中よりよっぽど伝わった。
さてさて、反対車線の歩道から「シュッポ!シュッポ!」という声が聞こえる。目をそっちに向けると、電車(山手線)の着ぐるみをかぶた5人組が電車ごっこをやりながら歩いている。話を聞いてみるとWAF(早稲田アナルファック研究会)らしい。残念ながらメッセージ性は伝わらなかった。

正直一時間歩くとすでに足は痛かった。後輩に「もう足痛いよね?」と聞いても「何言ってんだこいつ!?」って言う顔をされる。
そしてより絶望的だったのが、みんな歩くのがとても早いということだった。良く分からない間にガンガン抜かれる。とにかく抜かれる。一人で歩くのはとても孤独だ。地獄の幕開けであった・・・

〜一日目昼〜

休憩所で仮装大賞の発表。大賞は広告研究会のゼーダ(エヴァ)(10人)だった。高さは3メートルくらいだった。誰もが納得する大賞だった。雨が土砂降りになってきた。さて、ここで疲れのあまり幻想を見ているのかと思うようなコスプレに出会う。
靴は履かずにスキーウエアをきている、スキーの板とストックを持っている・・・・・・・・・・・・・。えっ!?えっ!?えっ!?あまりに苦しそうだったので接触は図らずに「頑張ってください」とだけ言ってその場を離れた。
途中の休憩所でカップ麺を食べていたら某新興宗教教祖が来たので合流。そこから20分で次の休憩所に着くという話だったので新しいアンパンマンのキャラクターを考えながら二人で大爆笑しながら歩いていた。吉兆ババア(こいつの作ったものを食べたカバオ君達が次々と下痢をするという話)などが出てきた。ていうか、やなせたかしアンパンマンを通じてカンニバリズムを幼少期から普及させようとしているのではないかという考えが浮かんだ。ていうかもう40分以上たっている、「まだかよ!!!!」結局コンビニから次の休憩所まで3時間以上かかった。

日記に出てくる某新興宗教教祖というのは俺のことだ。なぜこう呼ばれているかは割愛するが、今後も宗教をやることはないだろう。
疲労と痛みが顕著になってきたので、テンションが上がって日記のとおりの大喜利大会が始まった。吉兆ババアは俺のキャラだが、スポンサーを意識した設定をやなせに売り込みにいきたいと思った。そして得意(!)の織田裕二のモノマネを連発。その頃だったと思う。俺の脚は俺にもう一生歩きたくないと言ってきた。

〜一日目の夜〜

初めてのバファリン投与、痛みを飛ばす。ここから夜の山道を15キロ歩く。2時半に仮眠所に到着。仮眠。

2回目の休憩所を出たのが11時30分ぐらいだったと思う。バファリン8錠目を投入。
スタッフに聞いてみると、次の休憩所(仮眠所)まで3〜4時間かかるという。順調に言ってもほとんど寝られない。絶望感が襲う。
後輩達はあせりだした。そして「競歩社会主義」から「体力資本主義」の時代が幕を開けた。みな各々の速度で歩き出す。もちろん俺は置いていかれた。ここの15キロは正直言って思い出したくない。延々と続く田んぼと森。孤独と寒さが襲ってきて泣きそうになる。喉が渇いても休むと足が痛くなって立ち上がれないので休めない。「一思いに殺して欲しい」
休憩所についたとき、後輩が寝る(?)準備をしていた。とにかく良かった。

それにしてもあと半分ある・・・

法治社会である日本では、こんな足であと60キロ歩くのは法律で禁止されている・・・でないと日本国民であるというアイデンティティを保てない。

〜2日目の朝〜

5時半にけたたましいサイレンと共に「起床!!!!!」と叫ぶ精神昂揚会(運営委員会)の連中。出発、そろそろ周りを見て突っ込んだり接触する余裕が無くなる。

仮眠所の床に体温を奪われる。寒くて震えるが、次の休憩所つまり朝ごはんまでは10キロある。
スタートすると少しテンションが上がるが、5キロ歩いたところでバファリン投入するほどになる。
とはいえ、休憩所(埼玉キャンパス)に到着したのは割りと早かった。鎮痛剤よりも、痛みを我慢する方が大切だと気づかされた。


〜2日目の昼〜

休憩所にてレクリエーションが始まるようだ、選りすぐりのコスプレイヤー達が前に集まる。何が始まるのかと思ったら・・・縄跳びの二重跳び大会・・・・・・・夢だ・・・今俺が見ているのは夢に違いない・・・。もしくはドーピングだろう。
さてさて、なかなか順調に僕は歩いていて結構はしゃいだりしていたのだが残り20キロ地点でアクシデントにみまわれる。足の甲の骨に激痛が走ったのだ、それまでもすでに100キロ歩いているのでもちろん足は糞痛いが、それは無視していた。しかし、今回の痛みは無視できるレベルじゃなかった。しかも、骨なのでバファリンで痛みを飛ばすことができない。完全に座り込んでリタイヤしようか迷っていたら、とある若い夫婦(秋田御夫妻)が「大丈夫?」と言いながら近寄ってきた。で、終わったあと写真を撮って激励の後再び歩き出した。さっきも言ったが痛いのは骨なのでマッサージはほとんど効かなかった。だが、そんな見ず知らずの人の優しさに触れて感動して泣きそうになりながら絶対完走しようと思った。ここから、ラスト20キロを10時間かける事になる死闘が始まる。

ここからスピードが急激に落ち始める。痛みを我慢するのにも限界がある。足は腫れあがり、ひざは変な音がするし、ジャージは血まみれになる。足から意識を飛ばすのが原理的に不可能になる。昨日の歩く速度が時速4キロだとすれば時速2キロ以下なる。容赦なく抜かれる。参加者1500人中後ろの100人まで順位は落ちていたと思う。多分どの参加者よりも歩くのは遅かった。残り三十キロ・・・知らないおばちゃんが歪んだ顔で「もう止めなさい。駅すぐそこだから。」と言ってきた。

自然とタクシーが目に付き始める。


休んでいるとカップルが歩いてきた。

彼氏「たま子(仮名)、もうちょっとだからね。」
彼女「次の休憩所まであと何キロ?」
俺「あと10キロです」
彼氏&彼女「・・・・・・(大きなため息)」
*その後、彼氏だけに抜かれていったので俺の一言で彼女はリタイアしたと思われる。。。

最後の休憩所(高等学院)についたのは9時30分ぐらいだった。閉会式は8時。もうすでにゴールしている後輩もいる(7時についたらしい・・)。のこり15キロ。。。体育館は30人ぐらいしかいなかった。

100キロハイクの名物はコスプレ。
俺はコスプレをしなかった。
だが、すでに100キロを歩いた俺の姿は紛れもなくコスプレといえただろう。


〜2日目の夜〜
変な歩き方で時速2キロの速さで歩いていると、全く同じ歩き方をしている変な人と出会う。
俺「一人で物凄すね〜、骨っすか?」
変な人「そうなんすよ〜、けつがずるずるになって変な液も出てきてね〜、やっぱり靴がやばかったっすね〜」
彼は手ぶらで財布だけ持ってここまで歩いてきたようだ。
ラスト3キロ位で彼は「達者でな〜」と言いながら走って行った、今回は正式エントリーじゃないのでゴールする意味がないのでこのまま馬場で麻雀するらしい。さてさて、いよいよ早稲田に着く。待っていてくれた代表からビールをもらいそれを一気飲み!!!代表サンクス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!あんたなかなかすげーよ!!!!!!!!そんなこんなで100ハイは終わった。なんやかんやで来年も出そうな気がする。

最後の二十キロ。記憶はほとんどない。とにかく痛くて歩けなかった。
タツムリのごとくはうように歩いた。もはや前後に人はいない。バファリンはこの日だけで12錠呑んでいた。(4錠が規定)目がちかちかするヘブン状態に陥る。新目白通り、山手通り、高田馬場。のこり4キロ後輩から「突然楽になります!」というメールが来た。彼は嘘つきだった。最後までつらかった。残り1キロで代表が迎えに来た。代表サンクス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

気がつくとゴールしていた。深夜二時半。。。
暗い。もうすぐ撤収のようだ。
「やるお」と「やらないお」と一緒にビールを飲んだ。←どうやらこいつらwwwwwwスレに出てくるウマイ棒はウチの代表ですwwwwwwwwwクソワロタwwwwwwww


しかし、すげぇ達成感。


何のために100キロ歩いたのかは分からないけど、これだけはいえる。





「もう出ません」